命を見送る意味 20260419
ねこ画像
昨日、暁璘を看取り、2018年以降の我が家の顔猫たちのほとんどを見送りました。見送った後にあるのは安堵、あとは納得感もあります。ひとつひとつの出来事に意味を見出すのは不毛ではありますけど、それが大きな流れの中にあると納得できればそれが「どう振る舞えばいいか」「どう考えればいいか」の指針にもあります、ぐったりした暁璘。しかしこれは2022年秋の不調の時のものです。なぜ暁璘はここから何度も復活できたのか。そして麿白も。若年性腎不全と診断されながらなぜそこから8年近く生きることができたのか。暁璘が保護直後や2022年の不調時に他界、麿白も数年のうちに他界してたら、その別れは全く違った受け止め方をしてたのは間違いありません。それだときっと自分もすごく落ち込んでたと思います。しかし、暁璘はつよしから始まり、多くのここで出会った猫たちを見送る立場になりました。麿白を見送った後で追うようになってしまったのも、それが暁璘のここでの役目だったということなんでしょう。つよし、四護の後にはチャー坊が他界しましたが、釿汰と翡文と栗白に大きな影響を与えました。1年半毎日皮下輸液と投薬することで、自分も大いに経験を積みました。栗白はそれから2年数ヶ月、釿汰はそれから3年半生きました。それらはまた翡文の糧になってます。これらもやはりそれぞれが役割を果たす、意味のあることだったんだろうと思ってます。時雉が亡くなら

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