これだけ猫に関わっておいて難ですが、あまり猫を見て愛玩動物として可愛いと感じたことはありません。目線としては親に近い感じです。子猫をあまた育ててきても、里子に出さず残したいと思うのは「この子は俺を父ちゃんと思ってるなあ」であったり、それこそ麿白や時雉とすごくはまったという感触がある時でした。そういうふうに思わない中で、ちび時雉は余りに特別でした。麿白や暁璘は大きくなってるゆえに別として、幼猫でちび時雉ほどに「この子は手放してはダメだ」と思ったのは後にも先にもないんじゃないかと思うほど。それは猫と接する人ならそこそこあることなんじゃないかなと思います。この脱水してしょぼしょぼで、回復しても鳴き声を上げずのんびりされるがままだったちび時雉。感じ方はいろいろですけど、振り返ればそのちび時雉に子供の頃の私自身を見出したようにも思います。それはもちろん麿白の態度を見てのことでもあり、麿白もまた私の態度を見て色々と感じるところがあったのではないでしょうか。最初は体力がなくてヨチヨチでしたけど、力が入るようになっても基本はおとなしいままでした。そういう気質も含めて、ちび時雉も「とうちゃんとあんちゃん」にすぐに認めたのかなと。ちび時雉もまた、とうちゃんにようやく会えたやいとか思ったのでしょうか。人間側が猫を特別な存在に見えるのと同様に、猫側にしてもその人間を一目で特別に認めるようです。
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「運命の猫」は違って見える 20260412
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