命の失い方とその距離感 20250208
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猫たちに10年以上関わってきてその中で縁ある猫たちの最期を我が家で迎えてもらいました。縁ある猫たちにはうちに来て欲しいとは思っていたので、最期の場所をうちに選んだ縁はありがたく思ってます。もちろん悲しみもあり、四護の時は何度か泣いたんですけど、それはやはり四護はもうちょっと生きられるだろうという所で急に最期のときが訪れたというのが大きくあります。あと数日で当時預かってた子猫のみうちゃんを送り出し、「四護うちにきて半年記念」でもお祝いしようかなどと考えてたんですね。最期の日々の方で体重のかなりの減少と食欲の減退、出血などもあり、「そろそろ厳しいかも知れないけどもう少し頑張れるはず」と踏んでました。弐醐と黒皇のときの反省がありそして四護は例外として、他の猫たちについては「よくがんばったな、よく生きた」と思う方が大きく、それほど悲しみは強くありません。その過程や終末期の様子も見て、そしてその身を預かるからでもあり。動画などで知るよその猫さまの訃報の方が動揺だったり悲しく思う度合いは強いかも知れません。当アカウントをご覧になって、猫たちを追悼して下さる方々はこういう気持ちなんだろうなというのはそういう時に感じます。死生観みたいなものが割とはっきりしてて、それは親族の最期の日々からの臨終の瞬間、(後はそこにこれを並べるべきではないとは思いますが)外にいる猫たちが不慮の事故で命を落とす様を目の
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