重鎮猫がのこしたもの 20250915

我が家の護り猫の長である四護。その看取った日から5年が経ちました。四護の存在はあの街について可愛がって下さった周辺住民の皆様、そして私に繋いで下さった世話人様の縁の象徴的存在でもあります。願わくば、あと2週間生きてほしかった。でも、そうならなかったことでより一層爪痕を残すことになりました。四護は今でも子猫の送り届けなどの時は必ず同伴してます。まさに護り猫であり、私の大事なルーティンです。この5年間で何匹の子猫たちを送り届けて見守ってきたか。あの街には猫そのものがほとんどいなくなってしまい、かつてよりだいぶ足が遠のいてしまってます。しかし、節目には四護や護り猫の仲間を連れて行くようにしています。護り猫たちの中でも、その猫にあの街に思い残しがあるか否かの濃淡はあって、四護はまたその気持ちは割と強いほうだったのではないかと思ってます。ただ、一方で私の元に来る事を四護自身が運命として選択した事も事実で、四護だったら自分が生きた記録を私が残す事を理解して、それを世話人様や愛してくれた人たちに届ける事をするくらいはわかってたんだろうと思ってます。それくらいの知性はあって、それは釿汰も同様に持っているものだと思います。個室で隔離している四護を平日日中に看取る事もできたのもものすごいタイミングで、さらにそれを世話人様と通信を介して立ち会ってもらえたというのも、ただの偶然で済ませられないものであるよ
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