11年の歳月と「約束」 20250530

たまに時雉の最期を迎える数時間前のデータを見返す時があります。それは共に生きた時間を確かめる事でもあり、麿白と見送った事にどんな意味があるのかを自分の中で再確認するためです。何年何月何日に保護した、そこから共に生きていつ病が見つかっていつ看取ったか。日付だけなら記憶に残りますが、自分の記憶は非常に曖昧です。特に麿白と時雉に関しては、出会いから見送りまで期間と起きた事について、自分の認識の中でどういう意味を持つのか。それはまた時間と共に変わります。他界した直後、麿白と共にそれを受け入れたが参瑚が体調を崩してしまった時、琥麦が我が家にやってきた時。それぞれの局面で意味が変わってます。いわばそれの確認の作業でもあり、そうして時雉に限らず縁の強い猫たちを同じように預かり見送るのは自分の中での「約束」でもあります。それを守るために、意味を都度再確認する作業です。日々のケア、そして子猫の預かりや送り出しの時に、四護を毎回同伴させる。桜の時期には、護り猫たちの里帰りをする。それらは自分の中で同じものです。その一番最初の存在が麿白です。11年の歳月と共に色々な感情を共にしました。命は授かり物でどうしてもそれは灯を消すかもしれませんが、「約束」は残ります。こちらが動ける限り、今はそれを守ることで駆動できています。愛猫・愛犬を亡くされた方々からDMを頂く事があります。その際には、共に生きた時間、見送っ
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