猫に関わるようになって出来る限りのことはやって、最期を自分の元で過ごせた猫もいればそうでない猫もいて、それがその猫にとって最善だったと思える最期もあればそうでない猫もいます。猫たちに引っ掻かれて傷をつくったというのはもちろんそれなりにありますが、無理は極力しないし気をつけてることもあってあまりありません。仮に物理的に引っ掻かれたとしてもそれはまた名誉の負傷でもあり、爪痕として残りません。しかし、あの猫に対しての行動をこうすればよかったかなというのは、内側に消えない爪痕として残ってます。それは、たまにふとした時に思い出す類のものです。猫たちの命は早く、あの公園までの道のりでたくさんの名物猫たちが出迎えて散歩してくれる、そんな日々がずっと続けばいいと思ったし、そういうわけにはいかないということも当時から解ってはいた事でした。きっと、俺の最期の頃に見る夢は、猫たちがたくさんいたあの街の風景なんだろう。そんなふうにも思ってます。そういう爪痕は、人によって形も何によってつけられるかも異なります。歳をとるごとに爪痕は増えていき、その感覚に対してもある程度鈍くなっていかないと生きていくのは大変です。それをどう捉えて生きていくのか。その爪痕があるからこそ、今の猫たちとの日々がある。そんな感じで生きてます。
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