何でそんなに泣いたんだろう 20241109
これまで多くの猫たちの終末期、その最期を見送ってきました。失って悲しいという気持ちは当然あって、ただ保護活動や終末期ケアをするにはその個人の適性があると思ってます。保護活動はすなわち猫の死と向かい合う事でもあり、外の猫で気にかけていた猫がある日突然姿を消した、命を落としてたというのは当たり前で、そこでメンタルをやられてしまう人も多くいます。自分はその辺りは割と相対化できてる方だと思ってます。自分の感情を自分の中だけで決着できるタイプです。死は悲しむ事ばかりではないという事ですね。つよし、涼珠、チャー坊、四護といった外で生きた猫が人の手を介して託されて我が家で惜しまれつつ最期を迎えられた事は、その命を全うできたからと思うからです。そして、今でもSNS、動画を介してその生きた形跡を振り返り、偲んでもらえる事は、幸せな事なのではないかなと。それでも弐醐の時は外科処置中に命を落としたのが突然過ぎたので動揺して泣いてしまい、その病院には気まずくて行けなくなりました。黒皇の時は、時間的な制約などであまり向かい合えなかった事に申し訳ない気持ちの方が強く、ただ2回人間においていかれた末だったのでそこで納得はしました。もっとも私に近く、多くの時間を過ごした時雉については、判明してからの進行が突然過ぎたとはいえ終末期に極力そばにいて最期もみんなで見送り、私の腕の中で最期を迎えられたので、その命の最善だ
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