次男坊猫の時雉が他界して1年が経ちました。体質的に悪いものをもらってしまうらしく、末期の猫たちをケアしてると謎の関節痛や腹痛や悪寒に見舞われてケア自体も休み休み行わないとできないんですけど、時雉の最期の日々はあまりそういうこともなく一緒にいることができました。目鼻も綺麗で前日まで食事もあったので、体力はあったけど病が命の大事な所を絶ってしまった感じです。時雉は生まれ変わってくるだろうか、あの保護した時のように「ゃぃ」と鳴いてくれるだろうかと思ったら琥麦がやってきたのはご存知の通り。どうあれ、そういうこともあるということですね。もし時雉→琥麦であるなら、急ぎすぎじゃないかね?という気もしますね。琥麦がいるおかげで麿白先生と参瑚は特に振る舞いが変わりました。一年経っても居間には時雉を飾ったまま。琥麦がいなかったら、護り猫たちの棚に戻していたと思います。琥麦だけでなく、この1年で色々な事が他にもありました。別れは必ずしも悲しいことだけではないし、死は終わりではないとすら思います。人も猫も時間がかかっても、まわりまわっているべき場所にまた戻っていくものだろうと感じた1年です。//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js
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