猫を亡くした後のかたち 20240705
現在の日々で軸になっているのは琥麦の成長の日々で、その土台には時雉、そして今まで私の元で最期を迎えた猫たちがいます。時雉の最期の日々は発信をしてなければ淡々と過ぎてしまってた気がします。時雉の猫一族がみな早くに亡くなっていたり姿を消してるのもあったし、時雉については持って生まれた命を全うしたと思ってるからです。詳細検査をした動物高度医療施設で、「手術や抗がん剤も頑張っても2年程度の延命にしかならない」と説明され、与えられた命に対する判断としては最善だったと思ってます。その中で、フォロワーの皆様が時雉の事で心から悲しんでくれた事、そして琥麦が私の元に来た事にまた喜んでいただけた事が、時雉の不在が形になって現れてるように感じます。時雉をはじめとした看取った猫たちの為に流して頂いた涙は私のものでもあります。私も、よく見てた動画の猫さんが他界したという報せを聞くと、私の元で最期を迎えた猫たちとはまた違った感情の所での悲しみがあります。感情を揺さぶられるという意味では、そちらの方が大きいと思います。感情を定量的に語るのは不可能で、やるべき事ができなかった弐醐や黒皇への後悔を除いて、感情で一番悲しみが深かったのは四護の他界の後でした。四護も途中から現れて、接した時間はそんなに長い訳ではありませんし、その病状は深刻ですぐ最期の時は来るという覚悟はしていた日々でした。でも、なぜか四護の存在は私の中
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