猫たちの看取りに思う 20240121
猫と関わる上で、その関わりの終わりはその猫の命の終わりでもあります。飼うのも同様、保護活動も同様です。猫を飼うだけその死を引き受ける事でもあります。保護活動をする上で、向き不向きがあるとすれば、その死についての距離感をちゃんと保てる人だと思ってます。どんなに頑張ってる人でも、いや、頑張っている方だからこそ、保護活動をしてても思い入れがある猫が亡くなることで心の健康を崩される方は少なくありません。眠るように亡くなる、または苦しまずに亡くなるという方が稀です。考え方の転換みたいなもので、私は「終わりよければ全て良し」、猫側が人間を信じていて最期の日々が充実していればその猫の命も報われる。そう考えてます。多くの猫を見ていく中で、当然死であったり行方がしれなくなったケースが多々あります。後悔があるとすれば、そこでなにかできる事はなかっただろうかという事。関わりだした当初は空間も金銭的にも猫関連の人の繋がりも乏しく、それはやろうと思ってもできない事が多くありました。ある程度できるようになってからは、縁が深かったけどその最期に関われなかったという事が心残りになります。もちろん、際限なくできるわけではないですし、それはその猫自身が私を信頼してくれているという事が前提になります。その心残りや後悔のひとつひとつが、つよしや四護の最期の預かりであったり釿汰の保護だったりに繋がっているように思ってます。
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