その猫のかたち 20230923
人間にとって猫は伴侶動物であり家族です。ただ、それは出会い方だったりライフステージだったりで、人と猫それぞれで1つとして同じかたちはありません。何度も書いてるとおり、時雉は私の子供とほぼ同じ。声には出さずとも、誰よりも私を「とうちゃん」と呼んだのは時雉です。直接保護したとあって、その想いもいっそう強くあります。野良時代から、いなくなったかあちゃん猫の代わりに私に甘えるようになった経緯もあって参瑚も時雉とほぼ同様。遅れてきたのでやっぱり三男坊です。気がつけば来年5周年の曉璘は不思議な存在です。前住居に唯一まったく縁のない所から保護預り、独自の地位を築いた曉璘。家族とか伴侶というよりは、福の神様に居てもらってる感じがします。でも、誰よりも「とうちゃん」と大きな声でいつも叫んでます。翡文も保護預かりですが、膝上でてんかんの恐怖から免れただけにやっぱり子供のような存在に。釿汰は長い付き合いの気のおけない友人のような感じです。麿白先生とは苦楽を長く共にしてきてる分、色々な表情を見てると鏡を見てるような気持ちになります。ただ、こんなに珍妙じゃないですが。どの猫も悲しみの種類が違い、それに慣れる事はないですが、そこにどう向き合うかを考えて学ぶ事はできます。それぞれの猫の形に空いた穴は、自分が生きてきた証でもあります。//pagead2.googlesyndication.com/pagead/j
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