我が家の猫たちは総じて甘ったれです。甘えられるならカボチャにもなるのです。それぞれに甘え方の個性があります。翡文は一直線、そして甘えこそがてんかんの発作からの解放を意味してるので甘えも全力です。甘えに来ただよ。曉璘も窮地からの療養と回復が甘えだったので、膝上や甘えのケアは復活の象徴です。痛くても必ず戻ってきます。忘れてるだけかもしれませんが。怖いから甘えに来たぜ。参瑚は野良時代から窮地になると何故か偶然そこに自分が現れたので、普段はただ隠れるだけでも追い込まれたら甘えに来ます。ようやくふたりになったな。釿汰は引退生活と療養のために自分の元に来たものだと思ってます。さあ、モフりたまえよ。麿白先生も保護直後は相当に衰弱してそのまま添い寝。そこから甘えが呼吸や食餌と同じで、生きるのに不可欠なものです。…やい。そして、時雉。…物心ついた頃には家猫、そして麿白先生の母性。甘えたいけど、どうしても遠慮してしまうのは、他猫たちの甘えの必要性に腰が引けてしまうからかもしれません。みんなそれぞれ命の底から甘えてるので、真似できるものではないようです。普通に甘えればいいんですけどね。//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js
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